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大阪地方裁判所 昭和63年(ワ)9046号 判決 1992年1月29日

原告

甲野花子

甲野一郎

甲野月子

右原告ら訴訟代理人弁護士

宮地光子

斎藤ともよ

被告

西川診療所こと

西川雄之助

右訴訟代理人弁護士

河村武信

主文

一  被告は、原告甲野花子に対し、金一二〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告甲野一郎及び原告甲野月子に対し、それぞれ金六〇万円及びこれに対する昭和六三年一〇月一五日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを三分し、その二を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

五  この判決は、原告ら勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

一被告は、原告花子に対し、五〇〇万円及びこれに対する昭和六一年五月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二被告は、原告一郎及び原告月子に対し、それぞれ二五〇万円及びこれに対する昭和六一年五月一七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一事案の要旨

本件は、被告の開設する西川診療所(以下「被告診療所」という)に通院して肝硬変等の治療を受けていた甲野太郎(以下「太郎」という)が、昭和六一年二月一九日、肝細胞癌に罹患していると診断され、他の病院に入院して治療を受けたものの、すでに手遅れであったため、同年五月一七日、肝細胞癌によって死亡したことについて、太郎の遺族である原告らから被告に対し、太郎の死亡は、被告の診療契約上の債務不履行によるものであるとして、死亡又は延命利益の侵害による損害(その一部の合計一〇〇〇万円)の賠償を請求した事案である。

二争いのない事実

1  当事者

太郎は、昭和六年五月二日生まれの死亡当時五五歳の男性であり、太郎の相続人は、妻の原告花子と、子の原告一郎及び同月子である。

被告は、住所地において、内科、小児科及びレントゲン科を専門とする被告診療所を開設する医師である。

2  太郎と被告間の診療契約

太郎は、被告との間で、昭和四八年ころ、太郎の疾病について当時の医療水準に従い適切に診療・看護・治療を行うことを被告の債務とする診療契約を締結した。

3  診療経過

(一) 太郎は、昭和四八年一月から他の病院に入院している期間を除いて、ほぼ月一回ないし四回程度の割合で継続して被告診療所へ通院し、糖尿病等の治療を受けていたが、昭和五七年六月一日から大阪赤十字病院に入院し、糖尿病、胆石症、肝硬変(初期)及び慢性膵炎の診断のもとに治療を受け、同年七月一〇日に同病院を退院した後、同年九月六日以降、再び被告診療所に通院(毎月一回ないし四回程度)し、右各疾病について、投薬等の治療及び検査を受けていた。

(二) 被告は、太郎に対し、α―フェトプロテイン(以下「AFP」という)検査は、昭和五九年九月四日を最後に昭和六一年二月一九日まで行わず、GOT(グルタミン酸オキサロ酢酸トランスアミナーゼ)、GPT(グルタミン酸ピルビン酸トランスアミナーゼ)、γ―GTP(ガンマーグルタミルトランスペプチダーゼ)等の肝機能検査も、昭和五九年一二月五日を最後に、昭和六〇年一二月二三日までしていない。

(三) 被告は、太郎の肝機能について、昭和六一年二月一五日検査したところ、γ―GTPの値が四一四(単位・IU/l、以下同じ。正常値・男性四五以下)にもなっていたので(直前の昭和六〇年一二月二三日の検査では一八五)、同月一九日、AFP検査を行ったところ、これも638.0(単位mg/ml、以下同じ。正常値(−)、基準値二〇以下)と異常な値を示していることが判明したため、同日、新大阪病院に対して肝臓のエックス線コンピューター断層撮影法(以下「CT」という)による検査を依頼し、右検査結果により、同月二一日、太郎に肝細胞癌があることが確認された。

(四) 太郎は、昭和六一年二月二五日、貴島中央病院に入院して診療を受けたが、同年五月一七日午後一〇時五五分、肝硬変症を原因とする肝細胞癌により死亡した。

三争点

1  不完全履行の存否

(一) 肝細胞癌の早期発見義務違反

(原告らの主張)

一般に、肝硬変の場合、肝細胞癌を併発することが多いところ、医師は、肝細胞癌の早期発見のためには、患者に対して、視診・触診によって、肝臓の肥大あるいは腹水の有無を診察するだけではなく、定期的に肝機能検査をし、二週間ないし四週間程度の間隔でAFP検査(胎生六〜一三週間ころに胎児血清中に出現する蛋白で出生後はほとんど見られないが、肝細胞癌等で産生され、高頻度に肝細胞癌患者の血清中に出現するため、重要な腫瘍マーカーとされている)をして、疑いがあれば、毎週でも検査を行い、異常があれば、肝シンチグラフィ、CT、肝エコーグラフィ(超音波検査、以下「エコー」という)、肝動脈造影等の検査をすることが必要である。

ところが、被告は、太郎が肝硬変に罹患しており、肝細胞癌を併発する可能性が大きいことを知りながら、

(1) AFPについては昭和五九年九月四日を最後に昭和六一年二月一九日まで約一年半にわたって検査をせず、

(2) GPT、GOT、γ―GTP等の肝機能検査も昭和五九年一二月五日を最後に昭和六〇年一二月二三日まで実施せず、

(3) 視診及び触診による肝臓の肥大状況及び腹水の有無の診断並びにエコー、CT等の検査については、肝硬変の治療を始めた昭和五七年九月以来昭和六一年二月二二日まで行っていない

のであって、診療契約上の義務に違反して、必要十分な検査を行っていない。

(被告の主張)

被告は、太郎に対して、適時必要に応じて、生化学検査、検尿・検便、一般微生物検査及び蛋白分画等の検査を継続して行った。AFP検査についても、昭和五七年一〇月二〇日、昭和五八年六月三日、昭和五九年一月二五日、同年五月九日、同年九月四日と施行している。

そして、昭和六一年二月一五日の生化学検査の結果によれば、γ―GTP値が四一四と異常に高かったので、同月一九日AFP検査を行ったところ、これも六三八と異常な値を示した。そこで、被告は、新大阪病院に、同日、CT検査を依頼し、肝細胞癌を確知し得たのであって、癌について早期発見を怠ったものではない。

原告らは、昭和六〇年中にAFP検査を行っていないことを非難するが、検査は、それ自体に意義があるものではなく、得られた結果から意味を理解し、しかるべき措置を講じるためのものであるところ、前記五回のAFP検査の結果がいずれも(±)又は(−)で、特に、昭和五九年中はいずれも(−)であり、昭和六〇年中に実施した肝機能検査の結果にも著変が見られず、昭和六〇年中にはAFP検査を必要とするような兆候が認められなかったためである。肝機能については、昭和五九年一二月五日以前の肝機能検査結果と昭和六〇年一二月二三日の結果を比較すれば、GOTがやや上昇して七九(単位・U、以下同じ。正常値・八〜四〇)となっているが、それ以前にもっと高い数値も見られ異常とするに足らず、GPTもやや減少して七三(単位・U、以下同じ。正常値・五〜三五)となっているものの、過去に四九という値を示したこともあり有意な差ではない。LAP五二〇(単位・U、以下同じ。正常値・男性一四二(±)二九)、γ―GTP一八五は大きく変化しているが、これらは肝硬変の重症化を示す指標であり、また、GOT・GPTの数値の逆転もそれだけでは肝癌を示すものではない。

また、被告は、太郎に対し、被告診療所ないし大阪赤十字病院へ入院して肝硬変についての検査を受けるよう勧告していたにもかかわらず、太郎はこれを拒み続けてきたのであり、通院による検査としては、これ以上のものは想定できない。

(二) 説明義務違反

(原告らの主張)

被告は、昭和六一年二月二一日、原告花子に対し、太郎が肝細胞癌であって手遅れであることを知らせるまで、肝臓の障害等の症状について太郎又は原告らに対して、一切説明しておらず、適時に適切な検査・治療を受けるべき機会を失わせた。

(被告の主張)

太郎は、昭和五七年七月、大阪赤十字病院において、肝硬変である旨の診断を受け、強制退院させられる際にも、肝硬変についての生活上の注意を受け、また、被告も、太郎に対して、肝硬変について肝要なことは安静にすることであり、これを怠れば、肝硬変は肝臓癌になり、結局死亡することになる旨、幾度も注意し、被告診療所もしくは大阪赤十字病院への入院を再三勧め、更に、病名を記載した薬袋(<書証番号略>)も交付しているのであり、病状についての説明を怠ったことはまったくない。

(三) 全身状態管理義務違反

(原告らの主張)

太郎の糖尿病の治療状況をみるに、太郎の血糖値は、昭和五九年四月ころから上がり、昭和六〇年から昭和六一年にかけては、三七九(単位・mg/dl、以下同じ。正常値・七〇〜一二〇)ないし四七三と高度の糖尿病像を示しているにもかかわらず、被告は、昭和六〇年中、投薬の種類及び量とも同一のまま放置しており、また、同年六月一〇日の赤血球は4.42(単位・106/mm3、以下同じ。正常値・男子4.40〜5.56)、血色素量(Hb)は13.9(単位・g/dl、以下同じ。正常値・男子一四〜一八)であったのが、同年一二月二三日には、それぞれ3.41及び10.5と軽度の貧血状態を呈し、出血を疑わせる兆候があったのに、検便等の検査を行わないなど、太郎の糖尿病を始めとする全身状態の管理の面でも、被告の診療は不十分であり、これが太郎の肝硬変の悪化をもたらせた一因ともなっている。

(被告の主張)

被告は、太郎に対し、肝臓疾患用薬剤であるケベラG、モリアミンS、バンコミンの他、肝庇護剤であるキシリット、ネオラミンスリービー、シービーエム、ビタミンB2、メコバラミンSを継続的に投与し、さらに、肝細胞癌が発見された昭和六一年二月二一日以降は抗癌剤であるリフリール、その薬効を強めるウロキナーゼを投与してきた。

しかし、肝硬変については効果的な治療方法はなく、安静と食事療法がもっとも肝要であるから、被告は、太郎に対し、繰り返し生活を改めるよう注意したが、太郎は、過重な仕事と不規則な生活を続けており、通院による治療だけでは肝臓に負担をかけない生活を確保することは困難であったので、被告診療所もしくは大阪赤十字病院へ入院するよう勧告もしたが、太郎はそれにも従わなかったのであり、全身状態の管理について被告に責任はない。

2  不完全履行と死亡との因果関係

(原告らの主張)

昭和六一年二月一九日、新大阪病院でなされたCTによれば、太郎の肝左葉は著名に腫大し、腹水が著しく、左葉はほぼ全体に腫瘤に置き変わっており、同月二二日、被告の触診によっても、腹水があり、体表から硬い腫瘤に触れるほどに、太郎の肝細胞癌は進行していたのであるから、その約一年前には肝細胞癌に罹患していた可能性が高い。

したがって、被告が太郎の血液検査を行った昭和五九年一二月五日に、AFP検査やエコー等を実施していれば、その時点で肝細胞癌が発見された可能性が高い。また遅くとも、太郎が被告診療所を訪れた昭和六〇年六月一〇日(同日には血液採取もしている)か同年七月二日にAFP検査や肝機能検査を実施していれば、太郎の肝細胞癌が発見されたことは確実である。

そして、肝細胞癌の治療については、ここ数年、急速に進歩しており、早期に発見し、早期に肝切除術、肝動脈塞栓術、腫瘍内アルコール注入法等の治療を施せば、完全に治癒する可能性があり、前記のような被告の義務違反がなければ、太郎が死亡することはなかったというべきである。仮に、死を免れなかったとしても、太郎において、少なくとも五年間の延命の可能性があった。

(被告の主張)

原告らは、昭和六一年二月二二日に腫瘤を体表から触れることができたこと、肝左葉が腫瘍に置き変わっていたこと、AFPが六三八であったことから、それから約一年前に肝細胞癌が発見できると主張するが、腫瘤に触れることができるまでの期間は、個体によって大きく異なり、右主張は、一つの可能な推測を示したものに過ぎず、個体に即して肝臓の組織像を観察した結果であるとか臨床的、解剖学的所見に基づいたものではない。

むしろ、太郎については、昭和六〇年一二月二三日の肝機能検査の結果は従前と比べて有意な数値上の変化を示していないのに、昭和六一年二月一五日には顕著な増悪を示す著変が認められており、年末年始の繁忙期に重労働に従事したうえに、飲酒の機会が多く、睡眠不足等による疲労も重なる時期であることと、肝硬変に肝細胞癌が併発した場合は通常急速に一般状態が悪化することを考えれば、右期間に太郎の肝癌が発症し、急速に増悪したと推測することもできる。したがって、仮に原告らの主張する日にAFP検査等を実施していたとしても、肝細胞癌の発見が可能であるとはいえない。

また、仮に、原告らの主張のように、昭和六〇年六月ないし七月ころに、肝細胞癌を発見し得たとしても、太郎は重度の肝硬変に肝細胞癌を合併し、しかも、肝左葉のほとんど大部分が腫瘍に置き変わっており、塊状の肝細胞癌ではないから、外科的療法としての切除術は不可能であり、切除術が行える場合でも、肝硬変に肝細胞癌が合併した症例の五年生存率は二パーセントと不良であることからすれば、現代医学の水準をもってしても、太郎の死亡を避けることは不可能であり、原告らの主張する義務違反と太郎の死亡との間に相当因果関係はない。

原告らは、延命利益の侵害があったとも主張するが、原告らの主張は、単なる憶測ないし推測に過ぎず、被告の過失により延命の可能性を奪われたものとはいいがたい。

3  損害

(原告の主張)

(一) 治療費五万円

(二) 付添費三六万九〇〇〇円(近親者付添一日四五〇〇円×入院期間八二日)

(三) 入院雑費一〇万六六〇〇円(一日一三〇〇円×入院期間八二日)

(四) 慰謝料一八〇〇万円

(五) 逸失利益二九二三万四三一〇円(55歳の平均賃金年額453万2100円×就労可能年数12年のホフマン係数9.215×生活費控除0.7)

(六) 葬儀費用一〇〇万円

(七) 弁護士費用二〇〇万円

以上合計五〇七五万九九一〇円(原告花子二五三七万九九五五円、原告一郎及び同月子各一二六八万九九七七円)の内金一〇〇〇万円(原告花子五〇〇万円、原告一郎及び同月子各二五〇万円)

第三争点に対する判断

一太郎の診療経過について

1  証拠(<書証番号略>、証人山崎知行、原告花子、被告)によれば、次の事実が認められる。

(一) 被告は、大阪医科大学を卒業し、昭和三五年医師資格を取得し、大阪赤十字病院でのインターンを経て、大阪医科大学付属病院第二内科(腹部内科)に勤務した後、昭和三七年から被告診療所を開業している。太郎が通院していた当時、被告診療所(許可病床八床)には、医師一名(被告)、看護婦三名がおり、レントゲン、心電図、モニター装置、脳波検査、肺機能検査等の機器を備付けていたが、CTやエコーの設備はなく、生化学検査等も外注していた。

(二) 太郎の社会歴・嗜好・家族歴・既往歴は次のとおりである。

(社会歴)昭和六年五月二日に生まれ、昭和三二、三年ころから運送会社に勤務し、トラックの運転助手として重量物である機械の運搬と据え付けの肉体労働に従事しており、勤務時間が固定せず、不規則な生活を余儀なくされていた。

(嗜好)煙草一日一五本程度、アルコール一日ビール三本とミニボトル二本程度(昭和五七年大阪赤十字病院入院時)

(家族歴)父は胃癌、母は乳癌で亡くしている。

(既往歴)被告診療所以外での治療経過――昭和四六年膀胱炎、睾丸炎、昭和四八年糖尿病(大阪赤十字病院に四五日入院)、昭和五〇年腹部外傷腸破裂手術、昭和五五年腹部瘢痕ヘルニア手術(大阪赤十字病院に六一日入院)、昭和五七年糖尿病、胆石症、肝硬変(初期)、慢性膵炎(大阪赤十字病院に同年六月一日入院、同年七月一〇日強制退院)

被告診療所での治療経過――昭和四八年九月三日初診、糖尿病、肝不全、昭和四九年膀胱炎、昭和五〇年高血圧症、昭和五一年糖尿病、膀胱炎、昭和五三年左手関節炎、昭和五四年糖尿病、膀胱炎、昭和五七年肝硬変、膵炎、尿道炎、糖尿病性神経炎、昭和五八年副睾丸炎、大腸炎、膀胱炎、昭和五九年膀胱炎、大腸炎、尿道炎

(三) 太郎は、昭和五七年五月二六日、体重の減少(六一kg→五一kg)、全身倦怠感等を訴えて、大阪赤十字病院で診察を受け、同年六月一日、同病院に入院した。同病院は、太郎の診察(触診で「肝腫一横指触知」)及び肝シンチ、腹部エコー、上部消化管造影、血液検査、尿検査等諸種の検査を行い、その結果、糖尿病、胆石症、肝硬変(初期)及び慢性膵炎であると診断した。

そして、同病院は、太郎に対し、糖尿病及び肝臓疾患について、食事療法及び薬剤投与等の治療をしながら、糖尿病の改善が見られたら肝臓の腹腔鏡検査をする予定でいたところ、太郎は、昭和五七年七月から度々無断外出するようになり、更に同月九日早朝、天王寺警察署に窃盗未遂容疑で逮捕される事態にまで至ったため、同年七月一〇日、同病院は、太郎を強制退院させた。

同病院は、太郎を強制退院させるにあたり、担当医師等から太郎もしくは原告花子に対し、病状の説明をし、胆石があるから腹痛が起こったら、すぐ手術するよう注意をし、その後、治療を受ける予定の医師に対する紹介状(入院記録及び入院経過抄録添付、以下、これらをあわせて「日赤紹介状」という)を交付した。そして、両名とも、退院しなければ、肝細胞を採取して検査する予定であったことは認識していた。

日赤紹介状に添付された入院記録等には、太郎の前記のような社会歴・嗜好・家族歴・既往歴等のほか、同病院での各種検査結果(その一部は、別紙検査結果表の大阪赤十字病院欄記載のとおり)、治療経過等が詳細に記載されており、AFP15.4、CEA5.4で特にAFPは23.4まで上昇したこともあり、血糖が一二〇台、尿糖が〇にコントロールできたら腹腔鏡検査を予定していたが強制退院の事態になったもので、糖尿病が落ち着けば同検査を施行すべきと考える旨記載されていた。

(四) 太郎は、昭和五七年九月六日から被告診療所に通院を再開し、その際、日赤紹介状を被告に提出した。

その後、太郎は、被告診療所に、ほぼ毎月一回ないし四回程度(但し、昭和五七年一〇月、一一月はほぼ毎日、翌昭和五八年六月は一〇回通院している)の割合で通院した。

被告は、太郎について、別紙検査結果表のとおり、糖尿及び肝機能等について、尿及び血液検査を外注して行っているが、肝細胞癌と診断されるまでのカルテには、検査指示及び処方箋のみで診察内容(腹水の有無、肝臓の触知の結果等)の記載はほとんどなく、肝シンチグラフィ、エコー、CT、腹腔鏡検査は、昭和六一年二月一九日まで一回も実施していない。

被告は、太郎に対し、ほぼ継続して、キシリット(主に糖尿病における栄養補給剤)、シービーエム(ビタミン剤)、ケベラG(肝庇護剤)、ネオラミンスリービー(ビタミンB12を中心とするビタミン剤)、ビタミンB2等の点滴を行い、アリナミンF(ビタミンB1)、ゴンダフォン(血糖降下剤)、メコバラミンS(ビタミンB12)、バンコミン等の投薬を行い、食事療法や生活指導をし、「お酒を飲んだら命ないで」等と食事に関して何度も注意し、薬袋に肝硬変と病名を銘記し、ときには「γ―GTP四一四」(昭和六一年二月一五日の検査結果)等と肝機能検査の結果を記載して渡すようなこともあり、安静が重要であることを何度も説明してきたが、太郎は家族のために働かなければならないとして、重労働というべき肉体労働を続けていた。

(五) 被告は、太郎について、別紙検査結果表のとおり、昭和五七年(一〇月以降)は四回、昭和五八年は一〇回、昭和五九年は六回(最終は一二月五日)、昭和六〇年は一回(一二月二三日)GOT・GPT・γ―GTP等の肝機能検査を実施し、AFP検査については、昭和五七年(一〇月以降)に一回(結果は(−))、昭和五八年に二回(結果はいずれも(±))、昭和五九年は五回(最終は九月四日、結果はいずれも(−))実施しているが、AFP検査はいずれも(±)ないし(−)であったから、肝機能検査結果にも著変はないと判断して、以後これらの検査を実施していなかったところ、昭和六一年二月一五日に実施した肝機能検査によって、γ―GTPが急騰し四一四の値(直前の昭和六〇年一二月二三日の結果は一八五)が出たため、肝細胞癌を疑い、同月一九日、AFP検査を実施したところ、六三八と異常値であったので、同日、新大阪病院にCTを依頼した結果、腹水があり、肝左葉は著明に腫大し、肝左葉はほぼ全体が肝細胞癌に置き変わっていて、門脈左枝から本幹に腫瘍血栓があり、予後は非常に不良であるとの所見が示された。

そこで被告は、昭和六一年二月二一日、原告花子に対し、太郎が肝細胞癌に罹患しており、長くもっても七か月、早ければ三か月の余命である旨告知し、太郎に対して、同日以降、抗癌剤であるリフリールやウロキナーゼを点滴で投与した。

その後、太郎は、昭和六一年二月二五日、貴島中央病院に入院し、同病院において、肝細胞癌の治療を受けたが、同年五月一七日、肝硬変症を原因とする肝細胞癌により死亡した。

二肝細胞癌の早期発見義務違反について

1  肝細胞癌の症状、検査等についての医学上の知見

(一) 肝細胞癌と肝硬変の関係

肝細胞癌は、正常な肝臓に突如として発生することはごく稀で、多くは慢性の肝疾患(慢性肝炎や肝硬変)を基盤としているといわれており(<書証番号略>)、データーとして、肝硬変症が肝細胞癌を合併する頻度は男性で三〇パーセントとするもの(<書証番号略>)や、肝硬変のおよそ四〇パーセントに肝癌を認めるとする報告があり(<書証番号略>)、昭和三八年から昭和五五年までに東京大学第一外科で開腹術を施行した肝細胞癌一〇三例中で肝硬変を併存しているものは九六例(併存率93.2パーセント)あったと報告されており(<書証番号略>)、他に、肝細胞癌の八五パーセントに乙型肝硬変または肝線維症を合併するとするもの(<書証番号略>)、肝細胞癌においては約八〇パーセントが肝硬変の合併をみる(<書証番号略>)とするものなどが報告されている。

そして、近年、肝細胞癌の治療方法の進歩は著しく、したがって、肝細胞癌の早期発見の必要性も高まっているといえるが、早期の肝細胞癌は、無症状のことも多く、その発見は容易ではない。しかし、慢性肝疾患特に肝硬変と肝細胞癌には右のような高い関連性があることから、肝硬変患者につき定期的に検査を行って肝細胞癌を早期に発見する試みがなされており、いかにして小腫瘍を検出するかが重要な課題とされてきている(<書証番号略>)。

(二) 肝硬変を素地とした肝細胞癌の検査方法

肝細胞癌の診断には多くの手法が試みられているが、そのうち有力とされているものとして、次のような検査方法が臨床現場で実施されている(<書証番号略>)。

(1) 肝機能検査

単独で肝細胞癌を診断しうる肝機能検査はないが、種々の検査を組み合わせることにより、いわゆるパターンの上から診断に有力なものがあるといわれており、そのうちGOT/GPT比は、肝硬変の場合1.0から2.0であるが、肝細胞癌を併発するとしばしば2.0以上、ときには3.0を超えることもあり、γ―GTPもポリアクリル電気泳動法で分析される肝細胞癌特有のγ―GTP活性帯で、AFP低値の肝細胞癌の診断に有力であるとされている。

(2) AFP(腫瘍マーカー)

地理病理学的な地域差によってAFPの陽性率は違うが、わが国では七八パーセントの陽性率(放射免疫検定法(RIA)によれば、一〇〇ng/ml以上を陽性ととると、肝細胞癌患者の約八五パーセントが陽性となり、四〇〇ng/ml以上を陽性ととると、約六〇パーセントの陽性率)があるとされており、肝細胞癌のスクリーニングに優れた検査法として、経時的に検査を行い、AFP値の漸増を調べるべきであるとされている。もっとも三cm以下の小細胞癌では、AFP値二〇ng/ml以下の数値しか示さなかった例が48.6パーセント、二〇〇ng/ml以上の明らかな異常値は二〇パーセントに、三ないし五cmの例では37.5パーセントに二〇〇ng/ml以上の異常値が見られたに止まり、AFPによる小肝細胞癌の検査には、かなりの制約があり、単独で早期診断の手掛かりを得ることは難しいとのデータもある。

(3) エコー

非観血的で簡便であるだけでなく、二cm未満の小腫瘍の検出に効果的であり、小肝細胞癌診断の手掛かりを与える最も有効な検査法かつ早期診断のスクリーニング法として広く普及している(但し、右横隔膜直下に存する場合検出されない場合がある)。例えば、千葉大学医学部第一内科助教授大藤正雄の報告(<書証番号略>)によれば、腫瘍径三cm未満では、82.9パーセント(二九/三五例)がエコーにより検出され、AFPの上昇がきっかけとなって検出されたものは14.3パーセント(五/三五例)、腫瘍径三〜五cmでは、それぞれ75.0パーセント(二四/三二例)、18.8パーセント(六/三二例)であり、その他はCTあるいは血管造影によるとされており、AFPとエコーの組合せによってほとんどの小肝細胞癌が検出されたという結果が示され、方法が簡単で患者に苦痛を与えないという利点からも、その両者の組合せによるスクリーニングが基本となると指摘されている。

(4) CT

単純CTでは腫瘍径三cm以下での検出にはかなりの制約が見られるが造影剤によるCTを併用することにより検出率は著しく向上し、二cm以上であればほとんどが検出されるとされるが、造影CTは検査方法が煩雑であり、スクリーニングに応用することは困難であり、肝細胞癌の疑われる例に二次スクリーニングの方法として応用することが適切という意見もある(<書証番号略>)。

(5) その他に肝シンチグラフィ(腫瘍径三cm大でないと確実な診断は困難とされる)、腹腔動脈造影(診断上の価値は非常に高いが、診断限界は腫瘍径二cm大までとされる)、腹腔鏡等の検査方法もあり、確定診断をするためには更に超音波映像下での肝生検(細胞診・組織診)が必要とされている。

(三) 検査実施方法及び時期

右のとおり、肝細胞癌については、単独の検査方法で必要十分なものはなく、いくつかの方法を組み合わせることが必要となるが、一般に、確実性・簡便性、経済性等の考慮から、肝機能検査を平行して行いつつ、主にAFPとエコーを組み合わせて検査し、エコーで検出されない部分をCTで補っていく必要があるものと認めるのが相当である(<書証番号略>)。

ところで、そのAFP、エコー検査の間隔は、経済性も念頭に置き、腫瘍の発生速度、手技の確実性などから総合的に決定する必要があるが、発育の早い段階にある小肝細胞癌では、ダブリングタイム(倍加時間=腫瘍の数や体積が二倍になるのに要する時間)は平均5.2(±)3.6か月(腫瘍径が二倍になるのに大体三〜四か月かかるという意見もある<書証番号略>)であること、初回チェックの際の見落しの可能性、患者コントロールの意味も含めて、少なくとも、四〇歳以上の男性の肝硬変の場合は、三〜五か月毎にAFP定量検査及びエコー検査を行い、エコーの弱点を補うため年一回のCT(肝細胞癌の疑いが持たれた場合にも必要)を実施する必要があり、特に発癌の疑いがある場合には、更に間隔を詰めてこれらの検査を実施し、他の検査方法を採用する必要もあるとされている(<書証番号略>)。

なお、開業医である山崎知行証人は、開業医としても少なくとも半年に一度はAFP検査もしくはエコー検査を行うべきである旨証言している。

2  被告の早期発見義務違反

(一) 太郎は、昭和五七年九月当時、五一歳の男性であり、昭和五七年七月一〇日大阪赤十字病院において、肝硬変(初期)と診断され、被告もその経緯を日赤紹介状によって認識していたうえ、その後、被告診療所において継続的に実施(外注)していた肝機能検査等によっても明らかな肝硬変像を示していた(山崎証言)うえ、太郎は、少なくとも月一回は被告診療所に通院し、血液検査や尿検査にも応じており、被告が指示すれば、他病院で受診(検査)させることもさほど困難であったと認めるべき状況もないにもかかわらず、被告は、血液採取により容易にできる肝機能検査を昭和五九年一二月五日から昭和六〇年一二月二三日まで実施せず(この間、昭和六〇年二月二八日及び同年六月一〇日には血液採取を行い、血糖値等の検査はしている)、AFP検査については、昭和五九年九月五日を最後に昭和六一年二月一九日に六三八の異常値が出るまで実施せず、日赤紹介状で指摘されていた肝細胞腹腔鏡検査は一度も実施せず、エコーやCT検査についても太郎が大阪赤十字病院を退院してからは全く受けさせていないことは前記認定のとおりである。

そして、前記医学上の知見等に照らせば、肝硬変疾患を有し、肝細胞癌へ移行する可能性の高い太郎に対しては定期的検査を実施する必要があるところ、平均的開業医としては、どんなに少なくとも、半年間に一回程度は肝機能検査、AFP検査及びエコー検査(被告診療所にその設備がなければ、他の医療施設での受診を指示すべきである)を実施して、肝細胞癌への移行の有無を検査すべき注意義務があるにもかかわらず、遅くとも昭和六〇年三月以降、被告において、右検査を実施せず、太郎の肝細胞癌への移行を早期に発見すべき義務に違反したものと認めるのが相当である。

(二) この点について、被告は、昭和五九年の五回のAFP検査でいずれも(一)の結果が出たことや肝機能検査の結果にも著変が生じていないから、翌年は検査の必要がない旨主張するが、前記認定のとおり、一般に、特に四〇歳以上の男性が慢性の肝硬変に罹患している場合、肝細胞癌を併発する可能性が高いとされており、太郎の場合も肝硬変症状に特段の改善が見られたわけではなく、むしろ重症化していっていたのであるから、前年の一年間肝細胞癌の兆候が現れなかったとしてもその翌年にも兆候が現れない保証は全くなく、肝硬変が長期化し悪化していけば、むしろ肝細胞癌への移行の可能性は高くなっていくと考えられるから、一年半にもわたってAFP検査をしなかったことを正当化することはできない。

また、被告は、AFP検査は肝細胞癌の発生と直接関係がないとか、健康保健でも三か月以内の検査は認められておらず、右検査は健康保健診療による制約があるため、これを行わなかった旨の供述をする。確かに、肝細胞癌であってもAFPの反応が現れない場合や肝細胞癌でないのにAFP値が上昇する場合もないわけではないが、多少の例外事例があるものの、AFPが肝細胞癌の有力な腫瘍マーカーとして位置づけられていることは前記認定のとおりであり、本件の場合、昭和六一年二月一九日の検査によって六三八という異常値を呈していることからもAFP検査の重要性は明らかである。また、AFP検査のみで肝細胞癌の診断を下すことはできないが、肝機能検査やエコーによる診断等と組み合わすことによって有効な検査が可能であることも前記認定のとおりである。被告は、保険診療上の制約があると主張するが、被告の供述によっても三か月に一度検査することは可能であり、約一年半の間AFP検査をせず、エコー検査等を受診するよう指示しなかったことを正当化する事由は認められない。

さらに被告は、太郎に対し、大阪赤十字病院または被告診療所への入院を勧告したと主張するが、AFP検査やエコー、CT等の検査のために入院する必要はないのであって、被告が太郎に対しエコーやCT検査の受診を勧告した事実を認めるに足りる証拠はない。

三説明義務違反について

原告らは、昭和六二年二月、太郎が肝細胞癌で手遅れになるまで、被告は、太郎及び原告らに対して、肝臓の障害について一切説明せず、適切な検査治療を受ける機会を失わせた旨主張する。

しかし、太郎は、大阪赤十字病院を退院する際、肝細胞の生検を受ける予定であったことを認識しており、担当医師から、症状及び生活上注意すべき点等について説明を受け、紹介状も受け取っているのであって、同病院の担当医師が太郎らに対し、病名を告げるのを憚る事情があったとは到底考えられず、逆に強制退院の措置を採らざるを得なかった以上、通常以上に症状や予後についての説明が行われたと判断するのが相当である(山崎証言)。

また、その後、被告診療所においても、主に肝硬変及び糖尿病との診断のもとに、継続的に肝機能等の検査を行い、太郎に対して、お酒を飲んだら死ぬなどと直截な表現で生活上の注意を行っていたのであって、殊更病名を秘匿すべき事情も窺われない。かえって、被告本人尋問の結果によれば、被告は、太郎に対し、肝硬変に罹患していたことを説明し、安静を指示していたことが認められ、原告らの説明義務違反の主張は採用できない。

四全身状態管理義務違反について

原告らは、太郎の糖尿病の症状が悪化しているにもかかわらず、投薬の種類・量に変化がなく、また、太郎の赤血球値が低下していたことがあるにもかかわらず、その究明のための検査(検便)をしておらず、被告に太郎の全身状態についての管理が不十分であり、これが太郎の肝硬変を悪化させた一因であると主張する。

確かに、別紙検査結果表によれば、昭和五九年一月二五日までの血糖値は一〇〇前後で推移し、比較的よくコントロールされているが、同年四月二日に三六三を示し、昭和六〇年二月二八日以降は四〇〇を超えることが多くなっていることが認められる。また、同表によれば、昭和六〇年六月一〇日に赤血球四四二、Hb13.9であるのに同年一二月二三日にはそれぞれ三四一、10.5となり、軽度の貧血状態を呈しており、この間に出血があったことが窺われる(<書証番号略>、山崎証言)。

しかし、血糖値の変化は太郎の生活の乱れによる可能性も高いのであって、必ずしも投薬によって対処しなければならない状況にあったか否か明らかでないし、原告らもこの点について何ら具体的な主張はしていない。出血の点についても、断定しうるだけの資料もなく、これがどの程度継続し、どのように全身状態の悪化に影響したかについても具体的な主張はなく、これらが太郎の肝硬変の悪化にどのような影響を与えたか不明というほかはなく、原告らの右主張は採用できない。

五肝細胞癌の早期発見義務違反と太郎の死亡との因果関係について

1  肝細胞癌の発見可能性

(一) 前記診療経過によれば、太郎は、昭和六一年二月一九日のAFP検査で異常値を示しているから、太郎の肝細胞癌はAFP検査によって陽性を示す性質のものであるところ、昭和五九年九月四日のAFP検査は陰性であったから、この時点では、少なくとも発見可能な肝細胞癌は存在していなかったと推認される。

ところが、昭和六一年二月一九日新大阪病院で実施されたCTの結果、肝左葉のほぼ全体が肝細胞癌に置き替わっており、末期癌状態にあったのであるから、この間に肝細胞癌が発症し、発育していったことは明らかである。しかし、この間被告において前記のような検査を怠っていたため、肝細胞癌の正確な発症時期あるいはその発育の経過を確知することはできない。

(二) そこで各種の資料等から推測するほかはないが、三cm以下で発見された小肝細胞癌は、無治療の自然経過であっても、一年以内の癌死亡例は見られないとの報告があり(<書証番号略>)、これを基準とすると、太郎の肝細胞癌が発見されてから死亡までの期間は三か月に過ぎないが、その間治療は受けているから、死亡の一年前の昭和六〇年五月ころには三cm以上の腫瘍が存在したと推測できる。また、肝細胞癌の発育速度は、個体によって様々であるが、発育速度の早い段階にある小肝細胞癌でのダブリングタイムは、平均5.2(±)3.6か月であるとの知見に基づけば、腫瘍径三cm程度の癌細胞から肝左葉全体が癌細胞に置き替わるまでには、少なくとも半年程度は要するものと考えるのが合理的である。

(三) 以上によれば、太郎の肝細胞癌の確定診断がなされた昭和六一年二月の半年前である昭和六〇年八月ころには、AFP検査に異常値が現れる蓋然性は高く、そのころには太郎の癌細胞は、エコーによって発見可能な腫瘍径に発育していたと推認するのが相当である。

したがって、被告の肝細胞癌の早期発見義務違反がなければ、少なくとも昭和六〇年八月ころには、太郎の肝細胞癌を発見できたと認めるのが相当である。

(四) 被告は、昭和六〇年一二月二三日の太郎の肝機能検査には異常が認められないとして、その後に急速に肝細胞癌が発症・増悪したものである旨主張する。

確かに、肝硬変に肝細胞癌を併発した場合、一般状態が急速に悪化することが多いといわれており(<書証番号略>)、また、太郎の肝細胞癌が発見された時期は、年末年始の繁忙期を経た時期であり、飲酒の機会も多かったと推測することは十分可能である。しかし、これらの事情が癌細胞の発育を何倍も早めるとする見解は見当たらず、被告の主張によれば、わずか二か月で肝左葉全体が癌細胞に置き替わったことになり、前記ダブリングタイム等の臨床知見と合致しない。また、被告は、昭和六〇年一二月二三日の肝機能検査の結果に異常が認められないというが、右検査結果によれば、GOT/GPT比は、1.08であり、前年の平均約0.6に比べ、明らかに変化が生じ、LDH(乳酸脱水素酵素、単位・U、正常値・一〇〇〜四五〇)も昭和五九年九月までほぼ三〇〇台であるのに対し、四六五と高くなり、γ―GTPについても、昭和五九年が三七から五五であるのに対し、一八五と三倍以上の値を示しており、肝硬変の悪化を示す兆候であるだけでなく、肝細胞癌の発症を疑わせる指標としても注目すべき数値を示しているのであって、この時期以前に肝細胞癌が発症していたとする前記判断と矛盾するものではない。そして、他に被告の主張を裏付ける論拠もないから、被告の右主張は採用できない。

さらに被告は、癌の発育は個体によって大きく異なり、原告らの主張は一つの可能な推測を示したものに過ぎないと主張するところ、前記判断も蓋然性の程度は別として、一つの可能な推測であることに変わりはない。したがって、昭和六〇年八月にAFP検査を行っていれば必ず異常値が顕出されたと断定することもできないし、エコーに反応が現れたと決めつけることもできない。しかしながら、有効な検査方法として確立され、実施も容易な検査を行うことは、診療契約上医師に課された義務であり、これを怠った医師の側が、例外的事例を論拠に、検査をしても異常が検出されるとは限らないとして、自己の債務不履行責任を回避しようとするのは、信義に反するというべきであって、患者側においては、一定の時期に癌を発見できる一般的蓋然性があることを立証すれば足り、その時期に発見不可能な特別の事情は医師側で立証すべきであると解するのが相当である。そして、前記各資料等から推測すれば、前記認定の時期に太郎の肝細胞癌を発見することができる一般的蓋然性が認められるのに対し、右時期に発見不可能とすべき特別の事情を認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張も理由がない。

2  肝細胞癌の治療可能性

証拠(<書証番号略>、山崎証言、被告)によれば、次の事実が認められる。

(一) 肝細胞癌の治療方法としては、切除が最も有効とされているが、肝細胞癌について切除術を行うには、第一に、全身状態が良好であり、心肺腎機能に障害がなく、腹水があっても、それが治療によって消退し、患者が著しい高齢者でないこと、第二に、癌の状態としては、外科手術手技的に切除可能な部位と範囲に存在すること、すなわち、癌が一葉ない一区域に局在し、肝門部や肝静脈の下大静脈流入部近傍に存しないこと、そして、第三に、残存予定肝の機能予備力が認められることを要するといわれ(<書証番号略>)、門脈本幹腫瘍栓塞、重篤肝硬変、全肝区域腫瘍分布の症例は、絶対的切除禁忌であるとされている(<書証番号略>)。

(二) 肝細胞癌は、多発性であったり、合併している肝硬変が高度であることが多く、切除不能例がほとんどであるとの意見もあるが(<書証番号略>)、昭和五四年において、切除率は、全国で二七パーセントであり、東京大学医学部第一外科における昭和三八年から昭和五五年までの切除率は40.7パーセント(四二/一〇三例)で、そのうち七八パーセントは肝硬変を合併していた(したがって合併例での切除率は31.8パーセント)と報告されている(<書証番号略>)。そして、切除した場合の生存率は、肝癌研究会の昭和五四年の統計によれば、肝切除術による直接死亡は一〇パーセント前後であり、肝硬変を合併している場合、一年生存率は二六パーセント、三年生存率一四パーセント、五年生存率二パーセントと報告されている。同研究会の昭和六一年の報告によれば、切除症例中、肝硬変合併例の五〇パーセント生存期間は約一九か月であったと報告されており、他に、肝細胞癌六〇〇例の治療法別にみた五〇パーセント生存期間は、切除群19.6か月(九八例)、切除以外の治療を行った群2.8か月(三三三例)、非治療群1.6か月(一六九例)との報告(奥田統計)もある(<書証番号略>)。

右肝癌研究会の昭和五四年の統計をもとに、肝硬変に肝細胞癌を合併している症例につき、切除可能な患者の生存可能性を検討するに、切除率を三〇パーセントとし、これに一年生存率を乗ずると、右全症例に対する割合は7.8パーセントとなる。すなわち、切除可能の場合でも、切除術後一年生存しているものは一〇〇人中7.8人に過ぎないことになる。右奥田統計によっても、一〇〇人中約一六人が切除可能で、その半分の八人程度が約一年半生存可能という結果になる。

(三) 切除術が実施できない場合には、次の治療法として、肝動脈塞栓法やアルコール注入法が検討され、これらも不可能な場合は、化学療法(制癌剤投与)が行われることになるが、肝動脈塞栓法の適応は、門脈本幹及び一次分枝までに腫瘍血栓がないことを要するとされ、肝動脈塞栓法を施行した場合、五cm以下の三年生存率は、四七パーセントとの報告もあるが、その予後から見ると、三年が限界であると考えられ、また、アルコール注入法の適応は、限定された腫瘍数で、かつ腫瘍径が三cm以下とされており、その場合、三cm以下の三年生存率は五五パーセントとされているが、腫瘍径が二cmを超える事例又は腫瘍数多発例においては、再発率が高く、限界があると考えられており(<書証番号略>)、全身的制癌剤投与の効果は不十分とする意見が多い(<書証番号略>)。

3  早期発見義務違反と死亡との因果関係

以上の事実によれば、肝細胞癌について切除手術が可能であるか否かは、癌が発見されたときの癌の部位及び範囲によっても異なるところ、前記認定によれば、太郎については肝細胞癌が発見された昭和六二年二月一九日には、すでに腹水が認められ、肝の左葉がほぼ肝細胞癌に置き変わっており、門脈本幹に腫瘍血栓が認められる状態であって、それ以前の状態についてエコーやCT検査がなされていないことから、遡って、肝細胞癌が発見可能な当時の状態を病理的あるいは解剖的に認識することは不可能である。

しかしながら、医師の診療契約上の義務違反による不利益を患者側に負担させることは、不公平であり、特段の反証がない限り、被告の肝細胞癌の早期発見義務違反が存在しなければ通常どの程度生存可能であるかを統計的に判断することをもって足りるというべきである。

そして、前記認定のように太郎の既往歴、肝硬変の症状、半年程度で肝左葉全体が癌細胞に置き替わる程急激に症状が悪化した肝細胞癌の推移に加え、長期にわたる糖尿病の悪化等を総合して判断すれば、太郎の肝細胞癌は、半年早く発見されていても、切除可能であったか相当疑問であり、仮に切除術が可能であったとしても予後がそれほど良好な症例とは判断し難い。

そのような事情も勘案すると、実際より半年早く発見され、その時点で採りうる治療手段を講じていても、太郎の生存可能期間は、一、二年程度であったと認めるのが相当である。

そうすると、太郎の肝細胞癌が治癒して平均余命を生存し得た蓋然生は、ほとんどなかったといわざるをえず、被告の前記検査義務違反があったから太郎が死亡する事態になったとはいえず、したがって、被告の前記検査義務違反と太郎の死亡及びこれにより生じた損害との間に相当因果関係があると認めることはできない。

4  延命可能性の侵害

しかしながら、被告が肝細胞癌の早期発見義務を尽くし、太郎に対して、AFP検査やエコー検査を実施していれば、実際に太郎の肝細胞癌が確認されたときより少なくとも、半年早い昭和六〇年八月ころには肝細胞癌が発見され、これに対する治療を始めることができた蓋然性が高いことは前記のとおりであり、そして、早期に肝細胞癌に対する治療が実施されていれば、実際の死期よりもさらに太郎は、相当期間、生命を保持しえたものと推認することができる(実際は発見可能時期から九か月後に死亡しているから、発見可能時点から生存可能期間が一年とすれば、三か月、二年とすれば一年三か月の延命が可能となる)。

したがって、被告の前記注意義務違反(診療契約上の債務不履行)と太郎が相当期間の延命をはかれなかったこととの相当因果関係は、これを認めるのが相当である。そして、当時の医療水準に即応した適切な処置を受けつつ、できる限り生命を維持することも法的保護に値する利益であることはいうまでもないから、被告は、太郎の延命利益の侵害について、これにより生じた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

六延命利益侵害による損害額

1  慰謝料

太郎は、被告から肝細胞癌についての適切な検査、治療等を受けられず、そのため死期を早められたものであり、これにより精神的苦痛を被ったことは明らかであるところ、太郎は死亡当時の年齢(五五歳)、太郎の延命可能期間、その間入院し闘病生活を送らざるを得ないであろうこと、被告の前記債務不履行の態様、その他本件における諸般の事情を総合考慮すると、太郎の右精神的苦痛に対する慰謝料としては二〇〇万円をもって相当と判断する。そして、太郎の相続人である原告らは、その相続分に従って、右慰謝料のうち、原告花子は二分の一の一〇〇万円、その余の原告らは各四分の一の五〇万円宛の損害賠償請求権を有する。

2  弁護士費用

原告らは、被告に対して、診療契約上の債務不履行責任を求めているものであるが、本件のように本来の債務が金銭債務ではなく、かつ、その債務不履行が不法行為をも構成するような場合において、事案の難易、請求額、認容額その他の事情を考慮して相当と認められる額の範囲内の弁護士費用は、当該債務不履行により通常生ずべき損害に含まれると解するのが相当である。

そして、前記認定事実と本件訴訟における請求額、認容額、事案の難易、訴訟の経緯等を考慮すると被告の債務不履行と相当因果関係のある損害としての弁護士費用は、原告花子について二〇万円、その余の原告らについて各一〇万円と認めるのが相当である。

3  遅延損害金

原告らは、太郎の死亡時である昭和六一年五月一七日からの遅延損害金の支払を求めているが、原告らの損害賠償請求権は、債務不履行を理由とするものであり、かつ、本件訴状の送達前に右請求権に基づく請求を被告に対してしたとの主張立証はないから、右請求権に対する民法所定の年五分の割合による遅延損害金の起算日は、本件訴状送達の翌日である昭和六三年一〇月一五日となる(右送達日は記録上明らかである)。

4  その他

原告らは、右のほか、治療費、付添費、入院雑費、逸失利益、葬儀費用を請求しているが、いずれも被告の行為により太郎が死亡したことを前提とするものであり、延命利益の侵害によりこれらの損害が生じたとはいいがたいから、右各損害は認められない。

七以上の次第で、原告らの請求は、前記の限度で理由があるから、これを認容し、その余は理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井垣敏生 裁判官白石哲 裁判官並山恭子)

別紙検査結果<省略>

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